終戦の日に寄せて

70年前、1945年8月15日、日本だけでなく周辺諸国をもずたずたにして第二次大戦が終わりました。

終戦でなく、敗戦と言うべきという声もありますが、敗れたから悲惨なわけではなく、勝っても悲惨な戦争は、永久に終わりにしたいという願いを込めて、私は終戦と呼びたいと思っています。

朝から戦後70年に関連する特集番組をたくさん見るうちに、昨日の空疎な首相談話の罪の深さがひしひしと感じられてきました。

国会質疑もきちんとこなせず、何度も空転する中で、こんな談話を周到に準備していたかと思うと腹立たしくなります。

◆過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が

再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた

人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の

発展を祈ります。(戦没者追悼式での天皇のお言葉)

◆私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の

事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からの

お詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべて

の犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。(村山談話)

 

上記のふたつと比べると、自らの反省や謝罪の気持ちが全くないことは明らかで、それなのに何とか謝罪したように見せかけるために細工を凝らした安倍談話でした。

「哀悼の誠」という言葉が安倍さんの周囲で一つ覚えのように横行していますが、誠意のない「誠」という響きに虫酸が走ります。

「子孫に謝罪を続ける宿命を負わせない」ために、私たちがどういうことをしなければならないか。

「歴代内閣の立場を継承する」というのはどういう意味か。これらは積極的平和主義とどう関係するのか。

 

◆私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。

だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないもの

として堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を

高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。(安倍談話の結び)

 

積極的平和主義で謝罪を求める国をねじ伏せるというなら辻褄は合うかもしれませんが、歴代内閣の非戦平和主義とは相反するのに何を継承するというのか。

国会答弁と同様、聞けば聞くほど理解できない無駄な修辞で糊塗した美文は、安倍内閣の分裂気味の思考を象徴するようです。

スペシャル番組をつくる制作局と政府に寄りそう報道局とが分裂しているNHKと通じるものがあります。

誘拐され、子どもでも使える武器を持たされ戦争に駆り出されるアフリカの少年、兵士と結婚させられる少女、その武器を輸出する国連理事国。 70年前ではなく今の話です。

アメリカと手を携え積極的に平和のために闘うというのか。
言葉が頭の中でうずまきます。出すべきではなかった談話だと確信します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*