議員の仕事のひとつ

4年間の最後の一般質問の準備中。私が議員になって文京区を変えたいと思ったきっかけは、なぜ文京区の行政は区民を色分けし、頑なに情報を隠し、区民の声に耳を傾けず、区民を信用しないのだろうという思いだった。

「まちづくり」というと一部の声高な住民が他の個人の権利を脅かす高飛車な響きを感じる人がいるみたいだが、一人ひとり誰にとっても生きやすく暮らし良いまちを、できるだけ多くの住民参加でつくりたいというだけのこと。参加型まちづくりが定着している西の方では普通に行われているオープンな協議会や調整会が、文京区では自由な意見が言えないからなどの理由で閉鎖型になっているのが悔しかったこともある。誰の前でも恥じることなく意見が言え、どんな意見も尊重され、もしヘイトスピーチのような意見があったらきちんと人権侵害を指摘するのが民主主義だと思うから。

質問準備の過程で課長さんたちと話していると、はっきりと二通りの対応に分かれる。

一方のタイプは、丁寧に話を聞いてくれ、「確かにそういう考え方もありますね。今はこの方針ですが、将来は考えなおす時が来るかもしれません。少し勉強不足のところもあるので〇〇については教えてください。また情報をください。」という柔軟タイプ。
あるいは「議員さんは一定の区民の声を代表して議会に来ているのだから、どんどん言ってください。ドンパチやり合っている課長でも必ず聞いていて、心には止めているはずです。気後れせず何度も言うことです。」という同情・応援タイプ。

もう一方は「こちらは〇〇法に基づいてきちんと仕事をしています。見解の相違なのだから何度も同じことを言わないでください。言われなくてもやるし、言われても公式見解と同じことしか言えない。ほかの用があるから電話を切ります。」という対立タイプと、淡々と聞くだけ聞いて「お話はご意見として承りました。」という慇懃・切り口上タイプ。

後者の部類でも、「議員、そこは違います。これこれしかじかの考え方もあります。この方がいいと思いませんか。」と反問してくる課長もいて、全然意見は折り合わないけれど、尊厳までは脅かされないからこれはまだ許せる。

私は紛争事例に多く関わっていたけれど、事業者は利益優先で、なんとか法に触れず説明会を最小限でスルーし、住民をかわして利益を上げようとするだけで、対応は単純。提供公園や公開空地なども、公共利益とはいえ事業者が規制緩和を受けるためなのだから、義務付けがなければつくらないのは明白。
住民としては、得るものが迷惑より少ない事業はやめてほしいし、それが無理ならできるだけ情報を引き出し、落ち度を見つけ追求し、是正すべきところを是正させたいのは当然だ。

        
行政はというと、対事業者では許認可権者であるとともに、主権者=住民から信託を受け住民の幸福のためにサービスに従事するという立場で、住民の声を聞き、調整役を務めなければならない。すべては町の秩序を保ち住民の幸福に資する役目から当然のことなのに、少なくとも住民に対して「見解の相違なのだから何度も同じことを言うな」はないだろう。
議員は1500人とかの仲間の声を議会に伝えに来た一人の住民だ。行政職の意に沿う質問だけする議員ばかりなら議会など要らない。それを伝えることも仕事の一つか。

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