人権意識はなぜ根付かないのか

区内で障害者施設の計画ができると必ずといっていいほど近隣住民の反対があります。

それには区の責任も一定程度あります。説明会が事前の打診もなく計画が決まってから唐突に行われたり、行財政改革推進計画の中で出てきた計画なのに、近隣に対してその時点での説明が親切に行われず一般のパブリックコメントで済まされたり、近隣住民の不満が出そうな条件をわざわざこしらえているようなものです。それだけでなく、現実的に狭い敷地だったり接道条件が悪かったり、反対運動に同情の余地がある場合もあります。しかし、何回か説明会を重ねるうちに、「障害者施設ができると地価が下がる、環境が悪くなる、怖い、危険だ」という声が出てきます。あ~本音が出たな、実態を知らない風評被害だな、と思いがっかりします。

我が家の裏手には重複障害児の教育施設が50年くらい前からあります。かつて東大の障害福祉の研究者だった先生がご自分の土地を提供して施設をつくったと聞いています。夏など窓を開け放ち、親御さんが先生方と議論する声もよく聞こえ、障害児が時に大声で笑い、時に泣き騒ぐこともありましたが、最初は驚いても次第に事情を察して、同情こそすれ、日常的なことと意に介さなくなっています。もちろん地価が下がったということもありません。

説明会で地価が下がるなどという言葉を聞くと、なぜそんなことを言うのかと悲しく思いながらも、大上段に構えて人権侵害だとも言えず、苦になっていたところ、川崎市の住宅街に火葬を待つ間の遺体の一時保管所をつくる計画の報道で、やはり地価が下がるという発言があり、それについてとても共感できる意見がありました。以下に抜粋します。

テレビ報道の中で、ある住民が事業者に対して「この遺体保管所ができると地価が下がる。その補償をちゃんとしてくれるのか」と詰め寄る場面がありました。地価が下がる というようなことは現実にはないらしいのですが、私はこうした発言があたりまえに出てきて、それがテレビ放映されたりすることが本当に気になってしまいます。とにかくガッカリする。

 たとえば、極端な例ですが、白人のみが住む地域に黒人が居を構えるとします。ここに住む白人が「あなたがいると他の白人たちが嫌がって入居しなくなるから地価が下がる」と黒人に言うことは許されることでしょうか?
「法に定められていないからって勝手にこんなところに来るなよ。事前に相談なく白人たちの中に住むんじゃない。私たちとお前らとは本来住み分けするのが当たり前 なんだよ。お前がまともなら暗黙の社会的ルールくらい守れ。守れないならお前は悪だ。出て行け」と言い募ることは、はたして正しいのでしょうか?
また、こうしたものの言い方の是非は、その黒人が実際に「善良な人か、悪意を持った人か」によって左右されるでしょうか?
テレビに映っていたその住民は、私からすれば、構造的にこれと同じことを公言しているだけでなく、微妙な問題を抱えた内容を主張しているという自覚を持っていない。しかも、これを報道するマスコミもまた気づいていると思われない。住民の側には、この発言をきちんと問題視する人はいたのでしょうか?
この黒人居住の例の場合、こうした事態を生む偏見の仕組みのほうが問われな くてはならないでしょう。仮に、黒人の隣に住む白人が、偏見から実際に経済的不利益を被ったとしても、この黒人に「出て行け」と言っていい権利があるとは私は思いません。この例で敢えて言うのであれば、これは社会的公正を実現させるために、それぞれが自覚的に負わなければならない不利益なのではないか、とすら私は思います。
人がどのような感情を持とうとも、それ自身を私は問題にするつもりはありません。しかし、それをもとに何かを公に発言したり、他人に何かを要求したりする場合には、当然ながら社会的公正という観点からの制限なり抑制なりがあってしかるべきです。拒否感情の存在を当然自明の前提として語る自省のなさはいったいどういうことなのか、 そういった問題意識を持ち合わせていない運動が何を意味するか、を考えなくてはならないと思います。
この意見を読んだとき、私は胸を打たれ、目から鱗が落ちる気がしました。日本は全体的に差別感覚や人権意識に対して鈍感だと言われています。言い習わしや因習に無批判に従うことが一般的だと社会自体が自認し、無理に古くからの習慣を打ち破り人権侵害を断罪することを良しとしない。まだまだ根付いていない、自然に定着するまで待つという世論が強いようです。でもそろそろ意識して人権侵害を打破するときではないでしょうか。
それには行政も心して当たるべきです。行政自身が人権を尊重し、主権者の意見を尊重する。きちんと説明責任を果たす。疑問には丁寧に理論的に答える。より良い案が出てきたときは方向転換を厭わず直ちに転換を図る。無謬性に拘る愚かさは捨てる。具体的な支障や法規範(成文法に限らず社会常識でも)違反には毅然と対応し解決を図る。などなど。
敢えて逆説ですが、今までこれらのことをおろそかにして来た日本の政府、自治体行政が人権意識の浸透を遅らせたと言っても過言ではありません。後ろめたさから権利侵害に甘くなることのないよう、巡り巡って自分の首を絞めることになる前に、行政には心して当たっていただきたいと思います。

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