標的の島=狙い撃ちされる沖縄

マンタが舞い泳ぎ、アカショウビンが鳴き飛ぶ沖縄本島山原(やんばる)の大自然。モズクやサンゴがふんだんにありジュゴンが泳ぐ海。山原の東村高江という集落で野菜をつくりながら大勢の子どもたちをのびのびと育てる家族の、うらやましいほど自然に恵まれ長閑な生活風景から映画「標的の村」は始まった。一昨日、日野市の七生公民館で観た映画です。その後、場面は命がけでヘリパッド建設やオスプレイ導入に反対して座り込む場面へと移ります。国は反対派の住民に対してスラップ訴訟(威圧して黙らせるための戦…略的訴訟)を起こした。自分たちの生活を安全に続けたい、すぐ隣りに轟音のヘリパッドや演習場はいや、と願うだけなのに、国から通行妨害で訴えられるという沖縄でなければあり得ないこと。人がずっと住んでいる山間の集落にヘリパッドをつくるなんてあり得ない計画。どうして沖縄だけにそういうあり得ないことが続き、新たな基地までできるのか。国はバカにしている!人々の怒りが伝わってくる。

この3月まで琉球朝日放送のキャスター・ディレクターだった三上智恵監督の、つくり込まないけれどとことん寄り添う手法と、客観的に透徹しながら温かい眼差しに畏敬の念すら覚えました。
もう1本、三上さんがテレビ番組として制作したドキュメンタリー「海にすわる~辺野古600日間の闘い~」も続けて観たので約2時間半、ずしんと重く深く心に食い入りました。

何を言っても聞いてもらえず説明もなく突然侵入してくる国の横暴に立ち向かうには実力行使、座り込みしかないでしょ。「バカにしている」という言葉が住民の口から何度も繰り返される。政府がいかに沖縄をバカにしているか骨身にしみる。

「行政とは手続きを積み上げてきたものを実施するところ」と防衛局職員が言う場面がある。だからあなたたちの主張がどうであろうと手続きが整えば実施するしかないと。先日の大飯原発の運転差し止め判決を思い出す。これまでは国の手続きの適否を審理し、手続き上の適法性だけを判断してきたが、福島の事故後は、被害者の困難な状況や原発技術の危険性など内容に踏み込み、国民感情にも配慮して判断するようになったという。そうだとすると、時の政権が決定し、粛々と手続きを踏んだなら当事者住民の正当な生活権を侵しても実施してよいのかを判断してほしい。

最近、うちなーんちゅはいかにものんびりとテゲテゲに見えるけれど、実は本当に民主的で自由で理性的で賢い民族なんだと自負するようになりました。国も折れないだろうし、ここで暮らしたい自分らもお金に代えられないから折れるわけにいかない。「長期戦になると、ふざけて相手の心をつかむことが根気よく闘うコツ」と言い、ドンパチの最中に三線を弾きカチャーシーを踊り出す。中心で闘うオジイやオバアたちは、若い人たちに豊かな故郷を残す責任があるからと文字通り死ぬまで闘う。彼らの姿勢は誇らしく、共感できます。そして怒りと涙を誘います。

標的の村、ぜひ一度ご覧になってください。
上映計画は以下で。
www.hyoteki.com/jyouei/

法政大学沖縄文化研究所でも6月6日と13日に分けて上映します。
www.hosei.ac.jp/fujimi/okiken/sougoukouza/2014sougou.pdf

また、6月29日(日)13:30~ 16:00 文京区民センターで三上智恵監督の「標的の島に生きる」というトークイベントがあります。
www.labornetjp.org/EventItem/1398388671790staff01

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