教育の格差を超える方法は?

7~8年前にサクランボの種を埋めたところから生えてきた桜が初めて咲きました!

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3月25日の区立小学校卒業式で卒業式シーズンが終わりました。区議会議員はみな都合のつく限り住まいの地域の幼小中学校の卒業・入学式に参列することになっています。私の地域は第一幼稚園、誠之小学校、第六中学校です。昨年はそのことを知らず、本郷小学校の卒業式に参列してしまいましたが、できればいろいろ異なる地域の学校に参加し、特色を見たいものです。

誠之小学校の式は、いつも感心するほど完成度の高いものです。整然とした入退場、立ち居振る舞いも立派で、誰一人私語も交わさず来賓席の方がうるさいくらいです。BGMはすべて音楽専科の先生によるピアノ生演奏で、ドビュッシーやショパンのうっとりするメロディが程よい音量でよどみなく流れます。子どもたちの呼びかけもコーラスも在校生を含め本当に美しいという領域に達していて、どのくらい練習したのかと嘆息し尊敬してしまいます。

学事報告には教育目標などとともに卒業生の進路もあり、125人中区立中学校進学者が47人、私立が76人、国立都立などが2人となっています。6割以上が私立というのは、これが区立小学校?と首をかしげてしまう、時代の風潮とばかりは言えない驚きです。

校長先生やPTA会長から、「自分の持ち味を大切に」「希望をもって目標に向かって努力する」など素晴らしいはなむけの言葉がありました。本当に素直にそうあってほしいと思いますが、これを素直に受け止められること自体が恵まれたことなのだということも心に留めておかなければと思います。事実、進路についての記載はどの学校でもあるというものではないようです。指定校変更は如実に減っており、マンモスは適正規模に近づきつつありますが、新たに戸建て住宅やマンションを買って希望する学校区内に移転できる階層があり、親の収入が子の学歴にそのまま反映する社会現象がつくる構造的格差は認めざるを得ません。

今、社会のあらゆる場で格差が開きつつあります。予算委員会で貧困の連鎖を断ち切るために給付型奨学金がふえることが望ましいと発言しましたが、教育費がトータルに無償にならなければ結局家族への遠慮などで高等教育への進学をあきらめなければならない状況もあります。どうしたら機会均等、公平な教育ができるか、それは教育システムそのものの中で考えるしかないと思うのです。

3月26日の朝日新聞年間企画「教育2014」の特別版がとても示唆に富んでいました。「格差を超える」「絶つ貧困の連鎖」ということでいくつかの事例が載っています。

茨木市立郡山小学校では、学校と教育委員会と地域の連携で、教員やスクールソーシャルワーカーの配置、「学びルーム」や地域の土曜講座を駆使して、総合力で貧困の悪路を乗り越え、脱落から子どもたちを支える「スクールバス・モデル」を運営しています。

釧路市では自治体とNPOや大学生が、生活保護世帯の子どもたちなど、人と接する機会の少ない子の居場所づくりを兼ねた学習支援活動を行っています。

就学前からの教育が学力だけでなく逮捕歴、年収にも確実に影響しているというアメリカのデータ。貧しい移民の子が多いドイツでは、世代を超えて固定される「カースト制」に似た状況を変えるには学校の役割が大きいと言い、公的支出で教師を倍増し、上級生が下級生を教えるアルバイト制度など工夫しています。

作家の東浩紀さんのコメント、「格差の固定化は避けるべきで教育の平等は絶対に重要である。難しいのは多様性の尊重と平等な教育の兼ね合いだろう。個性を伸ばすと簡単に言うが、個性もまた教育の結果で、しかも数値化できない教育にこそ貧富の差は現れやすい。日本ではいま画一試験への批判が強いが、画一試験の枠に収まらないような「個性」のある子どもこそが裕福で恵まれた家庭でしか育たないのだとしたらどうか。記事を読みながらそんなことを考えた。」

このコメントを読みながら私は誠之小学校のことを考えました。恵まれたという響きはいやですが、少なくとも恵まれていないところに手厚い公的支援をすることが必要です。そして評価は子どもの偏差値ではなく教育が功を奏したかどうかで量ってほしい。オランダでは点数の高い低いよりどれだけ点が上がったかで評価し、テストは教師がどれだけ良い授業をしたかを量るものだと聞きました。

そして、ある程度環境に恵まれた学力のある学校には、つぎなる課題、グローバルなシチズンシップ教育やインクルーシブ社会教育という視点で、特別支援学級をぜひ併設してほしいと思います。併設ではなくインクルーシブに同じ場で学ぶ方式がベターです。誠之小学校や六中になぜ特別支援学級がないのか、一度校長先生に伺ったことがありますが、「余裕がない」という答えでした。場所の問題か、人数の問題か、そのときは聞きそびれましたが、来年度から建替え検討に入るこの時期に、ぜひ人権問題について考え、物理的にも精神的にもバリアフリーの教育環境を整える方針で臨んでいただきたいと思います。

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