美の条例

今朝の天声人語に国家公務員の暴言やあきれた振る舞いをたしなめる言葉が載っています。  www.asahi.com/paper/column.html?ref=com_gnavi

 

爾(なんじ)の俸 爾の禄は/民の膏(こう) 民の脂なり/下民は虐げ易きも/上天は欺き難し


 お前の給料は人々の払う税金、汗と脂の結晶である。それを忘れて人々を
虐げるなら天罰が下るぞ。という意味だそうですが、高級官僚に限らず区の
職員でも誰のために奉職しているのか疑問に思うことがあります。

 

度々水害を被った地域やその危険のある地域での開発や建設について、
「区としてこういう地域に地下室は危ないからやめなさいと指導してほしい」
とお願いすると、関係各部課はこう答えます。
「合法な開発や建築にそんなことは言えない。」とか、
「事前協議や相談で一度は助言はするが、相談に来ない事業者には助言できないし、
助言義務はないので相談に来ても担当が助言し忘れることもあるし、助言しても
相手が守るかどうかは知らない。」とか、
「私の役目は建築基準法を順守させることで、そんなことは私の役割ではない。」とか、
「民のことだから民が考えればいい。」とか、「危険な建物をつくる事業者と、
危険を承知で、あるいは勉強不足で知らずに買う消費者が悪いのだから、
わざわざ事前にやめろと言うのは親切すぎる。」とか、
「私の家は入口を階段で1m高くしてある。私だったら川底だったところに
地下室はつくらない。」とか、
「民がどんな建物をつくり、どんな物件を買うかなど区は関係ない。
官の仕事は、被害者を救済し、3日間の宿泊場所を税金で補償すること。」とかとかとか。

民が悪いことをして他者に損害を与えたら、民が罰を受け賠償すればいいのであり、
官の役目は制度化し基準をつくり許認可して、あとは被害の救済をすること、
という観念がしみついています。被害がでないように施策をし、施策の効果が
上がるように工夫し、住民が安全で快適に住まえるようにすることは彼らの仕事では
ないのでしょう。
こういうこと以外でも、この人たちは哀れな弱者にお恵みを与えるという姿勢だな、
と感じることもあります。
こういう姿勢では、制度化や基準づくりでも決して民の視点に立った人間味のある
施策はできないだろうなあ、と感じざるを得ません。

区の都市計画説明会などでよく聞く住民の質問に、
「言語による定性的な規定ではなく数値による定量規定で示せ。」というものが
ありますが、法規がどんな精神で何を目指すのか本質は定性的にしか表せません。
数値は必ず破られる。悪質な業者は、ありとあらゆる方策を練って数値の隙間を
縫ってくるものです。
定性的にこのまちをどうしたいか、良いまちにするには何が必要か、をきちんと押さえないと
条例も基準も要綱も良いものはできないでしょう。

折しも一昨日の総務区民委員会で、区の基本構想を担う担当者から、
「行政の常識が区民の非常識とならないように、今後は事業評価を改善していく。」
というような発言があり、びっくりすると共に感激しました。
かつて17年くらい前、区立第六中学校の校長が地域の誠之小学校を訪れ、
初めて生徒たちに直接六中の魅力を語り、六中に来てくださいと語ったとき、彼は
「学校の常識を社会の常識と一致させる。」という決意を語りました。
そのときの感動を思い出します。名言です。
今、この言葉が実現されているかどうか正直わかりませんが、公を担う者は
こういう姿勢で臨みたいものです。自戒を込めて強くそう思います。

神奈川県真鶴町のまちづくり条例は「美の条例」と呼ばれています。

この条例策定には、当時の三木邦之町長や担当官、都市計画専門家、法律家、
住民などが悩み抜き苦渋の選択をした歴史があります。
町を愛する住民が住み続けられる町にするために、乱開発からどう守るか。

法や司法との闘いもありました。でも美しい真鶴の海を見るとき、この姿勢が

まちの存続にどれほど寄与しているかを実感します。


以下は三木元真鶴町長の娘さんのブログから。
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「美の基準」についての覚え書き

80年代後半、大きな大きな経済の波が、真鶴町にも押し寄せてきました。

この小さな半島に、持ち上がったリゾートマンション建築計画は、全部で43棟。

そのすべてが、国の建築基準法・都市計画法に見合ったものであり、県の指導にも従っているのだと、
当然のように、財産権・建てる権利を主張してきます。

国の法律で、真鶴町は守れない。
「きちんとした拘束力のある、この町独自の条例をつくる必要がある。」

自己水源の乏しい、真鶴半島の現実的な弱さを武器に基準以上の大きさの建築物には

水を供給しないという「水の条例」

建蔽率・容積率に加え、風致地区や、細かな基準を設けて、景観を守る「美の条例」
2段階の条例構想をかかげて立ち上がったのが、私の父でした。

このように小さな町が、独自の法律を設けるというのは、並大抵のことではありません。
開発業者だけでなく、国や県も圧力をかけてきます。
そして、規制の厳しい条例に、住民からも様々な主張が起りました。
各所をまわり、「話し合い」に力を尽くす日々。

当時の父との会話で、私の胸に深く刻まれているものがあります。
「建蔽率50% 容積率200%という数字を見て、厳しすぎるという意見があるが
今現在、この真鶴にたつ建物の中で、この基準に反しているものなどほとんどない。
自分たちはずっとこのように暮らしてきた。
もちろん土地所有権・財産権を主張することはできる。
けれど、自分の権利を主張することで、隣の人の権利を侵すようなことはよそう。
ただそれだけのことなんだ。」

”美”という主観的なものを、どのように客観的な言葉におきかえるのか?

「この土地に人が住み、集落を形成し始めた頃から考えると、真鶴には1000年の歴史がある。
その時間の重みを加えることで、その営みを言葉にかえることで、
真鶴独自の”美”を客観的、かつ、普遍的なものにすることができる。」

1993年に制定され、翌年に施行された「美の基準」によって当時の開発計画の、ほぼすべてが白紙に戻されました。

私は今日も、懐かしい町並みを歩き、鬱蒼としたお林に分け入り、木々の隙間から、かがやく海を眺めています。

その暮らし方ひとつで、その生き方ひとつで、私たちは、大きな力に打ち勝つことができる。
それが「美の基準」が私に教えてくれたことです。
できあがった条例の素案をもって、説明にまわる父は、「これを真鶴の”決意”と受けとめてほしい。」といいました。

施行から来年で20年。
平易であたたかく、芯の強い言葉で綴られた真鶴の決意が改めて多くの人に読み継がれ、

受け継がれていくことを心から願います。

hanaeletters.sblo.jp/article/74599931.html?

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