日本の教育は高負担、低学歴!

教育振興基本計画について中央教育審議会の案がまとまりました。公的な教育支出をOECD諸国並みに増やす目標を明記したとのことです。ぜひぜひ答申通りに予算化していただきたいと思います。

このところ教育委員会などに関する報道が目立ち、気になっていましたが、各所で開かれた勉強会に参加していると、高負担で60才を越えても奨学金返済に苦しむ事例、教育委員会が機能しない事例、学力がつかない現状など、憂うべきことばかりが出てきます。

文科省の統計によると、日本の大学進学率はかなり低いようで、意外にも日本は低学歴社会なのです。

www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/10/04/1325048_6.pdf

高校全入時代などと言っていたのは遠い過去のこと、世界の高等教育はずっと進んでいるようです。

そんな中、先日、東京造形大学の入学式での学長式辞の面白い記事を読みました。

www.asahi.com/national/update/0418/TKY201304180108.html

生活現場では必要とされない理論や哲学は、自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであること、そして「経験という牢屋に閉じこめられていた」という自身の過去から、大学では誰も知らない価値を探求する自由が与えられていることを強調しています。

学生たちは、常識にとらわれない自由な発想を培う高等教育の意義を感じとり、学ぶ意欲や幸福を実感したことと思います。全文は以下から。

www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

教育の専門家たちは、幼児教育から初等教育、高等教育に到るまでの教育の意義を、政権の色にとらわれずしっかり押さえて、日本人が個々の人間として自立し、学び、成長を遂げられるような制度を考えていただきたいと思います。それと同時に国に期待できない部分は地域から、教育委員会を含めて一体となって押し進め、国をも啓発するくらいの動きをつくりたいと思います。

4月20日に大田区で開かれた生活者ネットワークの講演会「一人ひとりの人間を大切にする国、オランダの教育から学ぶ」でリヒテルズ直子さんから聞いた話で、そのようなことを深く考えました。この講演についてはとても素晴らしく是非みなさまにもお裾分けしたいので、別項でレポートします。

さて、先月から今月にかけて、公立小中学校の卒業式・入学式に参加し、今の子どもたちがどんな状況に置かれているか、締め付けられているのではないかと心配になる場面を何度か目にしました。

まず一番驚いたのは、あまりにもどの子も整然としていること。優等生と多分自他共に認めている子どもの固定化。そしてそれ以外の子どもたちの従順さです。45年前の自分のときとは雲泥の差、15年前の我が子の卒業時と比べても歴然としています。

優等生は優等生で可哀想なほど模範的な、子どもとは思えないスピーチ、それも来賓でさえ 巻紙読み上げなのに暗唱でよどみない。感心しました。優秀なのだと思いますが、それだけではなく、 よほどの責任感か、あるいは練習の賜でしょう。プレッシャーはないのでしょうか。

ある学校では、昨年の卒業式や入学式の送辞も、運動会での宣誓まで同じ子どもだった気がします。 聞くところ、3年前の入学時の答辞からこの3月の卒業時の答辞まで全部彼がおこなったとか。 誇りに思い、胸を張っている子どもさんには心から拍手ですが、この状況を変だと思わない 教育者たち。仕方がないとすること、なんとか変えようと思わない学校も怖いし、 おまえばっかりずるい、と言わない級友たちもなんか変。優劣の差があり、その格差は埋まらず、 それはどうしようもないと甘んじているようです。

我が母校の場合、入学式は五十音順の最初の赤塚くん、卒業時は五十音最後の渡辺くんだったか 渡部くんだったかな?それとも勉強が一番できた子だったか忘れましたが、「おい大丈夫か?」 とみんなに励まされながら頭をかきかき、それでも感動の名(迷?)スピーチを残してVサインで 壇を下り拍手喝采を浴びました。そういえば今は拍手は禁止のようです。

敬礼や国歌斉唱がありますが、今の子どもにはなんの違和感もないようですが、私の世代はびっくりです。かつて蛍の光と仰げば尊し は確かに歌いましたが、国家はテープで流れていたかな?歌った記憶はありません。 国家の歌詞の意味は授業で習いました。君というのが天皇だということ。「君の代わりに僕がやる!」などというジョークも出ましたねえ。起立!礼!というのは授業や行事の始まりのけじめのかけ声だと思っていました。時代のせいなのか、今は礼が敬礼になり、国歌斉唱があり、厳かですが異様な雰囲気です。

15年前の息子の頃は、金髪やロングスカートの子がいて、卒業式に来るかな来るかなとハラハラしたけれど、結局来てくれて拍手。欠席もなく一応みんな元気でしたが、今は欠席者がかなりあり、私の参列した学校ではどこでも必ず数名が式典中に貧血などで倒れるという状況でした。あまりの緊張感で過呼吸になったのか、とにかく祝い歓び合うというより固まっている感じですから。欠席は仕方のないことですが、どうして欠席だったのかが気になるところです。逆に長期不登校の 子どもがいると聞いていたのに欠席者がなかった学校もあります。それもまた心配です。

なにか自由が感じられない今の公立学校です。高等教育に進み、自主性と自発性を発揮し、 自由に羽ばたいてもらいたいと切に願います。

教育の格差は大きな問題です。小石川高校のOBや元保護者がつくった「教科書問題を考える小石川高校有志の会」が昨年11月に開いた公開学習会がとてもよかったのでご紹介します。

中京大学教授の大内裕和さんによる講演 「教育における格差と貧困——奨学金問題から考える」

www.k-yuusi.jp/index.htm

www.k-yuusi.jp/tohikousyuukai.html

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