議員の役割

梅雨の晴れ間、早朝でも蒸し暑い中、家の前のノウゼンカズラやアベリアの落花をほうきで掃く毎日です。秋は金木犀、冬は山茶花、春は乙女椿とミニ桜、そして夏、ミニサクランボの収穫も終わり、そして今ノウゼンカズラ、激変社会のなかでも変わらぬ季節の一巡に心が癒されます。

九州ではこのところ毎年死者も出るほど大雨の被害が甚大です。気象情報も津波警報の反省を受けてか、「これまで経験したことのないような大雨」という表現に変わり、一瞬違和感も覚えましたが、今年もかと心が痛みます。

6月議会が終わり、市民の広場セミナーが終わり、建設委員会の視察、予算要望聴取・・・と休む間もなく大事なものごとが進んでいます。お知らせしなければならないことがどんどん積もりますが、レポートが追いついていません。今日こそと思う毎日でもあります。

山積する報告事項をさておき、昨晩開かれた「受益者負担の適正化に向けた育成室保育料等の改定に関する説明会」で深く感じ入ることがあったのでまずお知らせします。

育成室とは昔の学童保育のことです。親が働いていて、学校からまっすぐ家に帰らない子供たちなどが放課後すごす場です。その料金が10年以上4000円/月のままだったのを今回改定しようということで説明会が開かれました。

改定の方針は、行財政改革推進計画に基づく受益者負担の適正化という考え方で、直接支出した経費を基本とし、それに行政サービスの性質による区分1~4ごとの負担割合(育成室は第4区分で負担率25%)を掛け合わせて算出するものです。その方法で算定した試算額はなんと10000円/月ですが、いくらなんでも上げすぎとの「激変緩和」の観点から来年度は5000円、2014年度6000円、15年度7000円とし、15年度の見直しで本来の算定額にする方向で検討するとのことです。自治制度・行財政改革特別委員会の傍聴を何度かスルーしてきた私の理解を超える方針で、予定の8:30を大幅に超え9時半近くまで参加者約50人からも質問が絶えませんでした。

主な質問は、現行料金には算入されていない人件費をなぜ入れるのか? 子育て支援の看板を掲げる文京区がなぜ育成室を公共性の高いサービス(第1区分)としないのか? 第4区分の負担割合が25%という根拠は? 保育園は応能負担なのに育成室はなぜ応能負担にしないのか? などでした。

区の財政課長と児童青少年課長が回答を担当し、保育の質の確保や待機児解消、税金投入の公平性確保、民間でも提供しているから市場的、など縷々述べていましたが、健全財政の文京区が今回人件費を入れた理由などは全くわかりませんでした。特に25%の根拠はほとんどないらしく、原価算定のコストについてはよくわかったものの、公共的と市場的の差が曖昧なため、25%についてはかなり不満が噴出していました。

問題は利用料の範囲を超え、区の哲学、区長の施政方針に及ぶように思いました。

①受益者とは何か、受益の益とは何か?預ける親だけの利益なのか?

育成室に関する受益とは、保育園とほぼ同じ、すべての人が子どもを育てながら働きやすい社会になることであり、受益者は区民であり未来の文京区ではないのでしょうか。

②行財政改革か子育て支援かという問題なのか、また公益的vs市場的というパラダイムでいいのか?

行財政改革は税の配分についての区の方針があってこその改革、文京区が子育て支援を公共的ととらえるなら行財政改革において第1区分の行政サービスとすることもできます。新たな公共の担い手と言い、公共サービスの補完的役割を民間委託に求める文京区が、民間でも提供しているサービスは市場的と決めつけるのはおかしいし、充足率、利用率=需給バランスは算定の基準としないとしながら需給バランスで決まる市場的なカテゴリーに含めるのも変です。参加者からも限りなく第1区分に近いという意見がありました。

③税の公平配分とはどういうことか?

どうして第4区分で25%負担なのかという質問に、区は公平性を理由としてあげていましたが、会場からは、我が家は区内の行政サービスでほとんど育成室しか利用していないのに・・という声もありました。ほとんど介護サービスしか利用しない納税者もいれば駐車場しか利用しない納税者もいるかもしれません。働ける人は働いて税を払い、不運にも働けない人や障害を得た人は保護を受け、若いときは出産や子育てに支援を受け、老いては介護サービスを受ける、総じて公平を保てばよいわけで、育成室を利用しない人がいるから利用者の負担ゼロが不公平とは言えないのではないでしょうか。

④なぜ応能負担ではなく一律なのか?

不公平を言うならこちらの方が不公平感は大きいと思います。区によると、応能負担を導入するとシステム変更や人件費などの経費が増大するため、利益衡量をしてやめたということです。しかし、住基ネットなどこれまでも利益衡量をすれば大損害の導入はいくつもあったし、きちんと手続きを踏めば税務課の情報を目的外利用で各課の施策に活用することは可能で、せっかくのIT化を公平性のために活用しないのは無駄とも言えるので、区民の理解は十分得られると思います。

 

会場からは、説明会での意見がどう反映されるのか疑問も呈されました。 最終的には条例案として9月議会に提案されるが、この場での意見が全部反映された案になるとは限らず、その案を通すかどうかは議員の判断に任せる、と議会に投げた形で終わりました。傍聴していた議員は多数いましたが、この議論をどう考えるか、私は身の引き締まる思いでした。文京区という社会が子育てをどうとらえるかの問題です。イクメンを自認し不妊治療に助成する区長は、単に自分と境遇が似ているから応援したいだけなのか?社会にとって子どもが大事だからではないのでしょうか。「子育て介護は社会の仕事」と「東京生活者ネットワーク」が初めて訴えてから13年、「子育ては家族が家庭で」という揺り戻しもある中で、どういう条例案が出てくるかに注目し、ぶれずに結論を出したいと思います。

■区立幼稚園保育料改定に関する説明会(第2回)は 7月14日 10:00~ 区役所5階会議室AB

■育成室保育料改定に関する説明会(第2回)は 7月16日 10:00~ 区役所21階会議室

風の街

以前はこんなに風が強くなかった、と思いませんか?超高層ビルが増えるにつれ、ビル風がどんどん強まっているように思います。シビックセンターの西側から南側にかけて、メトロエムとラクアの辺りは夕方になると俄かに強風の街と化します。地下鉄口に並んだ違法駐輪自転車がドミノ倒しになっています。千川通り沿いのこんにゃくえんま付近やクイーンズ伊勢丹前も然り。

数年前、白山通り沿いの11階建てビルの屋上から外階段を降りていて、私はすんでのところでメアリーポピンズのように空を飛びそうになりました。足が浮き、しがみつくものもなく、恐怖で階段にへばりつきましたが、もし傘をさしていたら本当に飛べたかもと今となっては残念にも思います。

冗談はさておき、二子玉川駅前の再開発地ではビル風により転倒などで本当にけがをした地元の方が過去1年間で少なくとも3人いるそうです。

www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012070102000089.html

住民は区や再開発組合に抜本的な対策を求めているようですが、対策はもちろん必要としても、けがをした場合、誰に損害を賠償してもらえるのでしょうか。

風に損害賠償を請求するのは無理。このビルができる前はこんな強風は吹かなかったという原因と思われるビルに請求しても、「うちのビルがお客様を転倒させたという因果関係を証明できますか?」とか言われて取り合ってもらえないでしょう。行政に訴えても、「民民のことですから」とか言われてせいぜい無料法律相談を紹介してくれる程度でしょう。

1棟建てば確実に風害は増大するのに、最初の1棟から最後の1棟まで、だれも責任をとらない構造だからこそ、どんどん超高層化を進めてこられたとも言えます。

6月議会の一般質問で私は春日・後楽園駅前再開発のビル風について質問しました。

Q. 高さ141mの絶壁のような建物にぶつかって発生する下降気流や横幅50mの両端の巻きこみ風など、風環境悪化に強く異を唱えていた周辺住民は固唾を呑んでこの計画の行方を見守っています。このままでは基壇部のない141mの切り立った超高層ビルがたった3mの外壁後退でそそり立つことになります。その結果、現在でも自転車がドミノ倒しになぎ倒されるビル風に加え、風の遮断によるヒートアイランド化、都市型洪水や前代未聞の竜巻の原因と言われる積乱雲、さらに汐留の再開発が練馬にゲリラ豪雨をもたらすと言われる因果関係の難しさなど、超高層ビルがもうひとつ増えることによる被害は計り知れません。現在も被害があるから少し被害が増えるのは仕方がないというこれまでの発想では、少しずつ取り返しのつかないところまで被害を拡げ、いずれ人の住めない環境をつくり上げます。気候変動が無気味に迫る今日、これ以上は少しも環境を悪化させないという強い決意が重要と考えますが、区長の見解を伺います。

これに対する区長の答弁は

A. 超高層ビルによる環境についてのお尋ねですが、市街地再開発事業は、有効な土地利用、基盤整備、オープンスペースの確保、住宅の供給、防災性の向上など、様々なまちづくりの課題を総合的に解決しながら、環境への影響を出来る限り少ない計画となるよう配慮しております。まちづくりは、ただいま申し上げたとおり、様々な課題の解決を目的とするものであり、風などの環境への影響の面からのみ評価することは、必ずしも適切とは考えておりません。

環境影響の面からのみ評価せよとは全然言っていないのですが、誤解されたようです。命あっての物種と言いますが、人の住めない強風の街に有効な土地利用もオープンスペースも虚しい限りです。

2008年の東京都の環境アセスメントでの都の見解も、すでにビル風があるから多少増えても問題ないというものでした。景観についても同様で、すでに景観や眺望を阻害するビルがあるときは、次に建つビルが高くて景観を阻害しても外壁の色や材質くらいしか規制できないと。当時都の担当者との対話の中で、そんなことをしていたらいずれ環境も景観もめちゃめちゃになりますよ、と言うと「これまではよかったがここから先はダメという線引きは難しい。不公平になるし早い者勝ちになり、駆け込みがふえる。」という返答でした。

二子玉川のような事故が起きる前にどこかで超高層推進の政策を変更しなければならないのは当然ですが、政策変更がドラスティックであればあるほど既得権者からの抵抗が大きいのも当然です。文京区長は「これ以上は環境を悪化させないという強い決意は重要ではなく」、他の要素との兼ね合いでできるだけ環境影響を少なくすればよいというお考えのようですが、抵抗に屈せず早期に決断していただきたいと思います。

■首長の政策判断はとても重いということに関する興味深い記事が2つあります。お暇なときにお読みください。

岩波書店 世界7月号「政治家の不法行為責任とは」五十嵐敬喜法政大教授 www.iwanami.co.jp/sekai/2012/07/228.html

朝日新聞7月3日朝刊 「牛之浜由美・阿久根市議に聞く民主主義の暴走」www.asahi.com/news/intro/TKY201207020442.html?id1=2&id2=cabcahad

 

■藤原の質問と区長の答弁はこのサイトのトップページの最下段にあるキャビネットに入れてあります。www.m-fujiwara.net/cabinet.html

■一問一答形式の報告はまもなく市民の広場のサイトに載せます。www.hiroba-bunkyo.net/gikai/honkaigi.html

 

 

国連持続可能な開発会議(リオ+20)

成果に乏しく具体性を欠くと厳しい評価を受けてリオ+20が終わりました。先進国と途上国の溝が埋まらず宣言文の採択も難航しましたが、有限な化石燃料を使って先に発展した先進国がより大きな責任を負うとする途上国の主張や、期限付きで達成を目指す「持続可能な開発目標」を2015年までに策定することなどが盛り込まれ閉幕しました。

日本から農林水産業生産者(farmer)の立場で参加した藤原敬さんのHP参照homepage2.nifty.com/fujiwara_studyroom/kokusai/rio+20portal/rio+20portal.html

日本は原発事故の影響などで2020年までに1990年比25%の温室効果ガス削減目標を達成できなくなりましたが、京都議定書の2012年までの目標達成はどうなったのでしょうか。検証はされているのだろうけれど見えず、中長期目標を立てるのは目標でもその達成は目標ではないようにすら見えます。

目標自体の策定が2015年で、さらにその先の達成期限は何年後?では、原発事故を見た今となっては無常観もただよい、まるで空想未来物語。関心が低くなるのは必至と危惧します。

そんな中で、リオから送られてきた写真が現実的に魅力的です。

コパカバーナ海岸通りの歩道、自転車道、車道の理想のバランス (写真をクリックするとフルサイズになります)

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