新たな公共の担い手

昨年7月から非公開でおこなわれてきた「文京区新たな公共の担い手専門家会議」(議事録は公開)が提言をまとめ、4月10日に区長に提出しました。

「文京区と新たな公共の担い手との協働の推進 ~文京区から始まるソーシャルイノベーションに向けて~」というものです。www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kikaku_aratanakoukyou.html

 

新たな公共、協働という言葉の登場は、自治基本条例策定時に遡ります。当時策定に携わった新公共経営担当課は条例施行(2005年4月)とともに消えましたが、策定過程で自治の理念として登場したのが「対等な各主体」による「協働・協治」であり、それが文京区における「新たな公共の担い手」の原点です。

今回の提言を読むと、

1.協働の目的を明確にする(提供すべきサービスの具体的着地点?を明確に持つなど)

2.NPOや事業者の活動理念を理解する(CSRから進化した?CSV(共有価値の創出)の観点から関わるなど)

3.区の組織・風土を改革する(職員がアントレプレナーシップ(起業家精神)を実感して学べる研修等をおこなうなど)

この3つを区の基本姿勢とし、担い手を創出するために新たなスキームが3段階に分けて語られ、その中にさらに以下の3つのステージが提示されています。

フューチャーセンターやワールドカフェなどでアイディアを抽出し人材を発掘する

②事業化しスタートアップ

③区が積極的に団体に働きかけ、活動しやすいよう支援し、ソーシャルビジネス・コミュニティビジネスや行政のパートナーとしてプロフェッショナルな公共サービス提供者を育てる

そして、上記①②を具体化するスキーム

(1)専門家のアドバイザリーボードなどによる支援本部

(2)プロジェクトリーダー間の連携によるベストプラクティスの共有

によって継続的に質の高い公共サービスの担い手を創出するという体系になっています。

まさかわけのわからない言葉で煙に巻こうということではないと思いますが、地方分権一括法ができた2000年あたりによく使われたアンブレラ型、ラウンドテーブル、ワークショップ、ワーカーズなどがまだ人口に膾炙しないまま、今回フューチャーセンター ワールドカフェ ソーシャルイノベーション アントレプレナーシップ、CSVなどが初登場。

公共サービスの着地点ってどういうこと?区民が求めるところ以外に勝手に着地させてもらっては困るし、CSRは進化させず、共有価値は別途論じてもらうことにして、企業はきちんと責任を果たしてほしいし、ワールドカフェは集中力をそがれ思考がまとまらないので、ラウンドテーブルでじっくり一つのテーマを深めたいという気がします。

横文字がこうも並ぶとうんざりしますが、いったいどこがどう進化してきたのでしょうか。

要は、公共がお上から市民に移り、多様な主体が一堂に会して意見交換し、相互に理解し、課題を抽出し、共有価値を見つけ、合意を形成し、連携し、課題解決に向かうということで、どこも変わってはいないように思えます。

5人の委員が1回にひとり2万円、計8回おこなわれたこの専門家会議は昨年度で終了し、今年度は新たに経済課所管の産学官連携イノベーション創出協議会が発足し(メンバーはひょっとして同じ?)、予算額は少ないですが、インキュベーション施設整備等、また1年後に提言して終了することになります。

考えてみたら、自治基本条例における「自治の理念」が、主権者区民による地域自治を置き去りにしたまま、対等な各主体によるガヴァナンスに置き換えられ、ガヴァナンスは統治という意味で自治にそぐわないから協働・協治と言い換えられ、その後自治の理念を実現するために創られるはずだった実定条例(区民参画条例やまちづくり条例)が忘れ去られたまま、基本構想で新たな公共の担い手創出が言われ、その提言がおそらく実行される前にまた提言、ということになりそうです。

市民活動促進法が特定非営利活動促進法(NPO法)に 市民参画条例が自治基本条例に、という骨抜き化の流れに呼応するように、住民投票・市民参加・まちづくり系の実定条例は忌避され、結局市民活動としてのNPOは遅々として成長せず、事業系NPOや企業と行政との委託受託関係だけがかろうじて命脈を保つ中で、政策決定に市民が関与するという参画の真の意味が、協働して行政の肩代わりをする事業参加へと意図的にずらされてきた気がしてなりません。

というより、区民参加は区政への参加ではなく、参画を期待されていた主体はもともと主権者区民ではなく新たな公共の担い手=事業体だったようです。

私は「区民憲章(当初は自治基本条例でなく区民憲章とされていた)を考える区民会議」の公募委員でしたが、なにより残念なのは、この条例は可決されたものの議会からの評価は低く、推進していた区長が引退し、酷評していた当時の議長が区長になったせいか、その後ぶる下がりでつくられるはずだった個別条例は結局つくられず、期待していた市民自治は進まず、区民からは忘れられ、ふがいない状況だということです。

同時期に策定中だった三鷹市に勉強に行きましたが、3年をかけて文京区より1年遅れで制定された三鷹市の自治基本条例では、「主権者市民が市政に参加する権利」をきちんと規定し、市政に参加しないことにより不利益を受けないこと、適正な行政サービスを受ける権利を有することをも規定しています。

しかし、文京区では政策立案・決定での区政への参加権をしつこく求めたにもかかわらず、「協働・協治の社会の実現に参画する権利」などという主権者本来の権利とはほど遠いものに変わってしまいました。

政策責任を問われないから政策決定に関わることはできないと学識の方から説明されましたがそもそも納税者として施策の失敗には責任を負うのですから、参加のしくみや構成をきちんと定めさえすれば意思決定にも参加できてしかるべきなのに、残念です。そればかりか「自己決定・自己責任」が基本原則とされ、「自主的・自律的な活動をおこなうとともに自らの発言と行動に責任をもつこと」が区民の責務とまで規定されています。気が重くなるような文言ですが、この彼我の差がすべてを語っています。

しかし最近、ある方から、理念条例としては少々難ありでも、後半の区、執行機関、区議会の責務などは具体的規制として十分使えるとお褒めにあずかりました。区民の権利として定めていなくても、また罰則がないので全体が努力義務規定だとしても、主権者区民の求める公共サービスが適正かつ迅速に提供されるよう、情報共有と説明責任が実行されるよう、そして、新たな公共の担い手による公共サービス提供の保証役を果たすよう、めいっぱい振りかざして活用していければと思います。

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