私の中の記念日

ちょうど1年前の今日、12月29日、3人の女性が集まり、膝詰めで相談し、統一地方選挙で区議会に私が立候補することを決めました。

年老いた舅と姑がいる、関心がまちづくり・都市計画・環境分野に偏っている、私自身が若くない、今の生活を変えたくない、等々、はっきりいって障害も多く、適任とは思えず、決心がつきませんでした。

しかし、地域主権はかけ声ばかりで市民自治が進まず、請願も意見も提案もまったく通らず、市民は参加疲れ、どうにか市民の声を議会に伝える無所属の議員をふやさなければ、という思いもあり、2人の熱心な説得に負けた形で、苦渋の決断をしました。

そしてその後、3人に2人プラスで、5人でカラオケに行ったのです。5人で狂ったように勝手気ままに歌いまくりました。演歌組、童謡組、パンクロック組、70年代組、それぞれ無理矢理喉のつかえを飲み込んだみたいに。すごいことになりました。

その後、それまで地域でまちづくりの問題を考えてきた仲間が応援してくれることになり、少しずつやる気が出てきたところに、3.11が来たのでした。

あの日、私は支持者の一人と区役所11階の選挙管理委員会室で事前審査を受けていました。そこにあの震度5弱。机の下に入って!と言われ、入っていたけれどなかなか揺れが収まらず、腰が痛くなって・・・もともと超高層は人の住むところではないと思っていたので、絶対こんなところでは死にたくないと思い、揺れが収まり次第、階段を駆け下りたのですが・・・

事務所に帰ってみたら、ご自分の家のこともさぞ心配だろうに、みんなまだいて、私たちの帰りを待っていてくれたのです。あんな地震を区役所で経験し、愛想を尽かしてやめてもよかったようなものですが、これが効きました。もうみんなと一緒にやるっきゃないな、と。

今、必死で勉強しようとはしながらも飲み込みが遅く、物覚えが悪く、思いこみが強く、寝不足に弱く、多々難ありながら何とかがんばっていられるのは、12.29の仲間と3.11の仲間がいるからこそです。

今日は私の議会記念日です。

このまちは元、本当にいいまちでした。それがどんどん様変わりし、自由の名の下に、ひとりひとりには悪意はないまま、本当に酷いことになりつつあります。先のことを考えてみて!日本中ではもうとっくに人口が減り始め、10年後には文京区も人口が減り始めるのに、そのときのためを考えて!

市民として外から吠えているより、議会の中で自分の住みたいまちを描いていきたい、違うまちを描いている人たちの意見も聴き、何が違うか、どうしてその違いが生じるのか、意見を伝え合う中で合意点を見つけ、狂い始めた軌道を少しでも修正していきたい、と今は考えています。

 

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