小石川植物園に寄せて

先日の遺跡見学その1に関連し、ドイツ在住の建築課水島信氏から大変興味深い寄稿がありました。

ぜひ皆さまにもお読みいただきたいので以下に掲載します。

なお、写真入りの全文がキャビネットでご覧になれます。 ↓

www.m-fujiwara.net/2011.12.08_%E6%B0%B4%E5%B3%B6%E4%BF%A1%28%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%9C%92%29.pdf

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小石川植物園周辺の道路拡幅計画に関しての所感
水島 信
建築家(ドイツ連邦共和国バイエルン州建築家協会)
Dipl. Ing. Makoto MIZUSHIMA
Architekt
Schubaurstrasse 3
81245 München
F. R. Germany

「日本最古で日本植物学会発祥の地」とされる徳川の時代の薬草園であった東京大学大学院系研究科付属植物園のその案内図紙面には、小石川植物園を「植物学の教育・研究を目的とする東京大学の施設で、約4,000 種の植物が植栽されており、教職員及び学生生徒が利用する」とし、一般公開するに際しての利用規則と注意事項に「園内の植物(落葉や落ちた果実も含む)や動物を採ったり、傷つけることはおやめください」と謳っている。その禁止事項を東京大学は文京区と共同で行うという、矛盾を現在進めている。

2009 年の合意書を基に既存のコンクリート塀の耐震強度を高めることと遊歩道の整備によって歩行者の利便性を高めるとする目的で、南東と南西側の塀を植物園敷地内に移設して周辺道路の拡幅をする改修工事である。

コンクリート塀の耐震強度を高めることと遊歩道整備によって歩行者の利便性を図るという目的に関しては反論する根拠は何もない。何故なら、この二つの目的は街の環境を改善するという都市建設政策上順当なものであるからである。

しかし、だからと言って現況の塀を移動する必然性はそこには存在しない。塀の耐震強度補強は現在の塀の位置を移動するための根拠にはならないし、歩行者の利便性を図るための遊歩道整備も現在の街路の整備を行えば済むことで、現況の塀の位置を変更する根拠は見当たらない。

それ以上に、樹木を伐採して境界塀を植物園内に移設しての道路拡幅することは、植物学的にも都市計画的見地からも大きな問題点を含んでおり、このような非学術的な計画は取り下げられるべきものである。
そもそも、文京区と東京大学の協定には一般人が考えて腑に落ちないこと、つまり東京大学が無償で土地を提供することに根本的に非合理性がある。道路拡幅のために約1,200 ㎡の植物園用地が提供されるというが、所有権売却であれ使用権移譲であれ、東京の土地価格からすれば単なる塀補強だけの等価交換では不均衡過ぎる。

この計画は周辺住民を初めとする多くの環境保全を志向する人々の懸念と反対を押し切って、又その人たちの工事内容や工期予定等の情報公開の希望と知る権利を無視して、民に知らしめずという前近代的で非民主的な手法で進められている。

例えば、研究調査員が立ち合っていないという事実一つとっても、世界の学術的常識では考えられない、従って、遺跡調査というあたかも学術的な掘削作業という装いをしているとしか思えない、そして、それを証明するかのように、工事看板には道路工事であるという馬脚を現わしている。掘削跡が塀を移築する位置に完全に合致して遺跡発掘跡というには余りにもお粗末で、塀の基礎工事のための掘削としか見えない作業で、住民の感情を逆撫でする方法で着々と既成事実が積み重ねられている。

小石川植物園の存在が危機に晒されたのは過去において二度ほどある。従って「植物園が駄目になれば、周辺も人間の住む所ではなくなる」という主旨の周辺住民の「小石川植物園を守ろう」とする、市民が民主主義社会の中で持つ権利を表現する行為には相応の歴史がある。

最初は1987 年に植物園の南東の敷地を三角形に切り取って長さ約300m 幅20m の道路計画と、その道路計画と並行して、冬季の午後植物園の南東部の日照を奪う高さ80m 24 階建ての共同住宅建設計画が持ち上がった時である。

1987年3 月26 日の朝日新聞を参照すれば、この時には当時の岩槻植物園長は一研究者として守る会と歩調を合わせ、文京区長に対して「これらの計画が園内の植生に悪影響を与え、教育研究施設としての価値を損なう」とする計画見直しの陳情書を提出していた。

又、生徒たちを引率して植物園を訪れる豊島区立文成小の当時の納田校長は「区部で自然観察ができるのはここだけ。周辺の再開発で地下水と日照が悪くなると植物は生気を失ってしまう」と守る会に期待していた。

更に、当時の東大の有馬理学部長は「長い歴史で国際的に有名なロンドンの植物園、キューガーデンより当園は古い。欧米の都市計画は植物園周辺での中高層ビル建設を禁じているが、日本では殆ど規制がない。住民の運動は本当に有難い」と守る会に感謝の意を表明していた。
この三者の、計画によって小石川植物園が悪影響を受けることと、研究や教授という植物園本来の意義が損なわれることに懸念する態度は、学識者又は学術研究者として当然というものではあろうが、その良識に対して畏敬の念を禁じえない。

二回目は、2003 年に植物園の北西部、つまり丘陵地勢の上部に隣接する10,650 ㎡の敷地に、ある不動産会社が地上四階地下一階の共同住宅の計画をし、植物園の湧水など地下水脈が途絶えるかもしれないという危機に晒された時である。

2003 年8 月27 日の毎日新聞と同年9 月4 日の朝日新聞を参照すれば、植物園側は当初は影響が出る可能性は極めて少ないとしながらも、計画された面積の広い敷地が植物園の上流に位置することから、将来的には何らかの事態で地下水が減少する可能性はあるとみていた。
当時、植物園後援会会長であった小倉東京農工大名誉教授は、共同住宅の地下部分が地下10m 付近にある礫層に達し、地下水の流れを阻害すると指摘し「植物園内の湧水・地下水脈に重大な影響を与える」ことの無いように計画変更を文京区や計画業者に求めるよう、当時の邑田園長に申し入れをしている。

これらの動きに触発されて文京区は「震災時の地域住民の防災拠点になっており、関東大震災でも湧き水、地下水が消防などに活用された実績があり、地域住民の関心は非常に高い」として計画業者に、植物園の地下水への事前影響評価の実施を要請し、その結果を区に報告すると同時に、地域住民に説明をすることを求めた。

1987 年の計画道路も2003 年計画の共同住宅も建設されていない。住民の良識が客観性を持っていたということである。共同住宅が現在は建設されていないとしても、工事用の塀が存在する限り、将来的に道路事情などの変化によってその建設が復活するという可能性もある。

日本語の植物園に相当するドイツ語はbotanischer Garten である。これを直訳すると植物学庭園で、教授目的のために世界中の土地から収集された植栽が集められた庭園と定義されている。主として学術研究に供するために、植物学の視点で、特性ごとに収集された植物、花卉、樹木などを生きたまま栽培保存し、かつ研究の基準となる標本類を蓄積保存する施設である。通常この機能を果たすため、植物を生きたまま保存するための圃場と、押し葉標本を保存蓄積する施設を有する。更に、遺伝資源収集の拠点としての役割ももつ。ミュンヘンの22 万㎡に14 万の植栽を保有するbotanischer Garten も調査研究のための欠かすことのできない資料として世界中の植物を集めて栽培し、ミュンヘンのルードウィッヒ・マクシミリアン大学の授業教授や研究員養成の機能を担っている様に、これが世界の常識である。

従って、文京区の「植物園は都市計画公園である」*3 という認識は学術的にも都市計画的にも全くの誤りである。植物園の存在目的とそれに対応した機能は都市公園のそれとは全く異なるものである。これは世界共通の一般的常識であるから、この文京区の認識が意図的であるかないかという詮索も可能である
が、ここでは問題としない。だが、この文京区の解釈に則って「植物園と歩道が一体的に見えるような整備をする」という協定締結を東京大学と行ったのは大いに問題である。都市計画公園に行う整備を植物園に行うということの基本的勘違いが文京区に存在し、それを承知で協定をした東京大学もこのような認識をしていると理解されるが、そうであれば東京大学の学府としての学術的認識の欠陥を指摘せざるを得ない。

植物学庭園の定義からすると、植物園における研究の範疇には「植物学的に意味の無い植栽の伐採」という行為と作業は存在しない。これは、当たり前に世界中で共通する認識である。それにも拘らず、植物園敷地の提供により塀の補強工事費の負担を免除するという文京区の申し出に乗り、大学院系研究科付属という研究施設である植物園の関係者は塀の補強と遊歩道整備という目的にて、樹木119 本の剪定、65 本の移植と82 本の伐採を行おうとしている、又は、その行いを許容している、否、もう既に始まっている。

この行為の学術的根拠はどこにあるのか。また、研究結果として何を期待しているのか。一般的な人間の通常の考えではこれらの建設工事目的と植物学的根拠の間に関連性を見出すことは全く困難である。東京大学大学院系研究科でそれを結び付ける明解な学術的根拠をお持ちであれば、それを説明頂きたいと願っている。

先にも記したが、塀の補強と遊歩道整備には既存の塀の位置を移動する根拠は全くない。従って、この点に関してはここでは問題にしない。塀を移動して道路を拡幅することの根拠が如何に希薄であるかに関してのみ、建築家として植物学への一般的常識と都市計画の専門的立場で述べてみる。

樹木の剪定、移植と伐採がどの程度で、どのような状況でなされるのかは正確な資料が手元にないので(これも最終決定がなされていないので公表できなという文京区役所の説明である)判断しかねるが、現地の観察で断定できるのは、先に挙げた数値以上に現存する植栽、特に大木に大きな影響を、つまり被害と損傷を与えるということである。

二千五百分の一の現況図に樹木を配置した図と現況の写真を参照して頂きたいが、塀沿いの大きな樹木はその樹冠を塀まで伸ばしているものが多い。通常の樹木の根は樹冠の範囲に拡がっていると造園の授業で学んだ知識を基にすれば、塀と道路に沿って立派に茂る樹冠を持った樹木は、塀の移築のための土台のための掘削工事で根を少なくとも三分の一、ひどい場合は半分近くも切り取られるという損傷を受けることになる。
万が一、根に損傷を受けなかったとしても、雨水が地面に浸透するために可能な限り樹冠の範囲は舗装しないというのが造園の常識であるから、住民の反対を押し切って道路を拡幅して、その道路面が舗装された場合には、成長過程に何らかの悪影響を受けることは確実である。つまり、塀の移築とそれに伴う道路拡幅は、沿道の樹木にとっては悪影響しかもたらさないということであり、この事実は植物学庭園の存在意義を根底から覆すことになるのである。
ドイツでは木を一本切るにも許可が必要である。それは地表面の変化をもたらす開発行為とみなされるからである。たかが一本の木くらいの事でと思う方には少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、たかが一本の木でも「都市の肺」の機能を担っているから、これを消滅させるというのは大局的には都市環境の変化をもたらす原因になるのである。たとえその木が私有地にあったとしても「公共の利益」に関わることであり、住民の生活に何らかの影響を与えることになるから許可が必要になるのである。

従って、住民にはそのことに関して発言する権利がある。民主主義では当然のことである。それ故に、1987 年と2003年の植物園危機の際には住民と一緒に植物園を守ろうとした見識と良識を、現在の植物学研究者達は持ち合わせていないのであろうか。それとも、敢えてそうさせるほどの何かの理由があるのだろうか。

ドイツを初めヨーロッパ諸国においては、1960 年から70 年代におこなわれた車優先の都市政策によって生じた環境汚染を含む様々な都市問題の反省から、90 年代から地域交通と通過交通を分離する都市政策を進めている。この政策を簡単に言えば、道路の機能分類を明確にした道路網を整備し、努めて市街地街区内からその区域に関連の無い通過交通の車両を締め出し、可能な限り市街地に歩行者優先路を設けるというものである。

その意味で言えば、日本では未だに渋滞解消という大義名分の下で地域内の住民の住環境の快適性を無視した通過交通道路網の開設を推進しているのは、時代遅れの都市政策と言わざるを得ない。勿論、それが日本の実情に適していて、確実に都市環境が改善されているのであれば、時代遅れであろうとなかろうと何の問題もない。
しかし、ヨーロッパでは反省の起源であった都市問題がそれらの政策で解消されているのとは対照的に、日本ではその弊害が増幅されているという現実を観察すれば、街区内の路地を拡幅して通過交通に適する道路開設をすることは実情に適した政策ではないと確実に言えるだろう。
「図の内容は現段階における計画案であるため、今後協議・検討により内容は変更となる場合があります」と注意書きされた小石川植物園周辺道路基本計画(案)に関する住民説明会資料という、図面の用をなさない三葉の図(計画図としてその表現のすべき意図が明確でなく、それ故この内容に対して批評を試みるのは全く意味がないので、それはここでは行わない)以外の計画図の開示がないので、過去の実務的経験から導き出される全くの憶測でしかないが、拡幅によって歩道を伴った二車線道路が設けられた場合、植物園周辺街区は現在の景観とは全く異なる街区が出現するだろうということができる。

植物園と千川通りに挟まれた区域は準工業地域指定で、大きな敷地を占める数ヶ所の寺院以外は、千川通りと植物園南西沿いの道路を結ぶ路地に沿って印刷工場と住宅とが混じり合った、町工場街区の特徴を持っている。

ジェーン・ジェイコブスが行き詰っている近代都市計画に新たな視点をもたらしたその著書「アメリカ大都市の死と生」で慣習的で都市生活が沈滞している街区が活性化するための多様性を持つ条件として挙げた「地域が単一の用途で占められるのではなく、複数の種類の用途が混じる混合土地利用地域の必要性、人々が街区内の幾つもの路地を利用できる小規模街区の必要性、再開発(この言葉の持つ街区を改善するという意味に疑問符が付くが)で一気に街が更新されるのではなく、古い建物も残した多様な街並みの必要性、及び高い人口密度で、子供、高齢者、企業家、学生及び芸術家など、多様な人々がコンパクトな街区に生活する集中の必要性」という四つの要素がこの地域に備わっていると観察できる。
つまり、この街区にはその特徴を生かしながら、一定の秩序を持って整備をしたら活気を持った特徴的な街区に発展する潜在力を持っていると感じられる。
その意味で、文京区都市マスタープランでの、住工共存市街地とした魅力を生かす身近な街づくりを目指す方針は順当であるということができる。

この方針に従えば、周辺住民の生活道路として機能している道路を拡幅して、通過交通路にするのは矛盾するものである。何故なら、一つには、通過交通路になった時点でこの公共空間から地域住民の生活空間としての機能は消滅してしまい、それとともに街区の特徴は失われることになるだろうし、二つには、それを増長するように、一定の交通量を許容する道路が完成したことによって、文京区の都市計画図の高度利用地区指定の傾向を鑑みると、簡単に高さ制限と容積率緩和で、この区域は高層の共同住宅によって占拠されてしまい、単調な街区に変化してしまうであろうからである。

東京都区内の都市公園などの公共空地に隣接した、特にこの空地が北側に接した敷地では、北側斜線制限の制約を受けないので、雨後の筍のように高層ビルが乱立しているという光景を思えば、そのことを容易に理解できるであろう。加えて、歩行者を優先するというだけのためであれば、歩道を車道と分離することと、そのために幅員を拡幅するということの必然性は全くない。道路を広げれば車は速度を上げ、歩行者には危険性が増すという単純な事実を例にすれば良い。

狭い路を歩行者と車が共存できるという手法はイタリアやドイツの都市で目にすることができる。お互いに譲り合いながら、このこと自体が街づくりの基本事項であるが、細い路を上手く共用している。

中川文部科学大臣は「政策仕分け」の大学の国際競争力を向上させる必要があるという指摘提言を受け、大学の在り方を議論する場を設け、改善策を検討する考えを示し「日本の大学は国際化への取り組みが非常に遅れており、世界基準でどう評価するかという観点が必要だ。広い分野の皆さんを交えて国民的な議論をしたい」と述べたそうである。
この言葉に含まれる、日本の学術研究分野における国際的評価を下げないためにも、学問の最高峰学府の一つとされている東京大学はその学府としての信憑性を傷つけるような覆水盆に返らずの愚行を行うべきではないと思うが、如何であろうか。それとも、今までの拙文の論拠を超える根拠を持たれておられるのであろうか。そうであれば、それを伺いたいと願っている。

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