遺跡見学会その2報告

 
神田上水白堀の遺構一部が小日向の旧第五中学校敷地内(福祉センター建設予定地)で発見され、12月20日に現地見学会が開かれました。
白堀(または素堀)とは蓋のない開渠のこと、関口大洗堰で閘門のような仕組みで水位を上げ、神田川から分水し、飲み水として水戸藩上屋敷(後楽園庭園・ドーム一帯)まで通したのが17世紀初頭、その後何回かの改修があり、今回出土した遺構は18世紀半ばから19世紀初頭のものと思われます。
 
改修の跡として、古い堀を切って新しい堀を造成した「切り合い」という構造も見られまし神田上水遺跡small 001.jpgた。(ラベルが貼ってあるのが新しい方の石垣、その下側に斜めにぶつかっているのが古い石垣跡)
遺構は上水北岸の石組みで、南岸は道路下と思われ、3mほどの幅で開渠が浅く広く流れていたようです。
 
流れはカーブしていて、中世からの道沿いに上水を通したと思われますが、明治9年に巻石(円月橋状の石蓋)をしたので巻石通りと名付けられたとのこと。明治10年にコレラの流行で衛生のために石蓋が施され、暗渠化されたという説もあります。しかし、石蓋は発見されておらず、今回出土の遺構がこれにあたるのか、まだ確定されてはいません。
白堀部分が発掘されたのは今回が初めてで、文化財保護審議会でも神田上水の変遷や構造を研究する上で非常に貴重な遺跡という評価でした。
 
ちなみに後楽園から先は石樋や木樋で神田・日本橋方面に給水されたそうで、神田川をまたいだ掛樋が元町の水道歴史館に常設展示してあります。
 
今回発掘された部分は長さ約60m、石垣の伊豆石(花崗岩)の間知石、土台の胴木(松材)、上の天橋石(砂岩)、裏込めの松・栗材や砂利などです。
神田上水遺跡 014.jpg最初に発掘された東側部分の石垣は撤去され、旧五中校舎内に展示されていました。
 
文京区では、新福祉センター設立後は、今現地公開している西側部分を残し、来館者がテラスから見られるよう常設展示することを検討しているそうです。
 
私の所属する「神田川ネットワーク」では、新宿区戸塚地域センターの神田川ふれあいコーナーのように、江戸から現代に到るまでの人々の暮らしの中での神田川や上水との関わりを顕彰し、広く皆さまに見ていただけるよう「神田上水コーナー」としての整備を提案していきたいと考えています。

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